あたりまえにあるものごとのカケガエのない愛しさ

おかんが送ってきたパンの切り方に大小があった。


神戸に住んでいる友達が遊びに来てお好み焼きを食べたけど、
まだおなかが食べ物を求めていたのでパンを食べようとして、
パンを焼こうとした時にふと気付いたことだ。


そこに人間的なものを感じ、こころがあったかくなった。
機械的なものが溢れるこの世界で、ふと感じる人の存在、
人の介在によってどれだけこころが救われることか。


よかった、まだ僕は人間的な人間だ。
よかった、僕はまだ人間的なあたたかみを感じることができる。


生きていると、時にこころがリズムする瞬間がある。
いつもの生活のあちらこちらに見出すことができる。
そんな瞬間をカケガエのないものであり愛しく思う。