今までの自分に縛られている自分がいる。

自分が変わらない、変わっていかない焦り。


例えば、
・人の話を聞いても自分の意見が変わらない。
 人の話をそういうこともあるねと納得するということは、
 ある意味受け流していることや突き放すこと、
 自分の意見を防御して、中に入れないこと。

・前ブログで真面目に書くとその次自然に書けなくなる。
 別に真面目なことばかり書きたいわけじゃないのに。
 はい、そういう理由でしばらく書けませんでした。
 すいませんすませんすまんすんすんんん。


そう、何も毎回同じようにやらなくてもいいのに、
前これだと思ったら次もそうしようとしてしまう。

ある方法を全てに適用しようとするのは、僕の一種の癖らしい。
楽しようとしてる、だけど、まじで不自由というジレンマ。

つまり、やり方の多様性を認めることがまだできてない。


考え方の多様性を認めようとはしているのに実はできてないのも、
この方法論の多様性を認められていないことに問題がありそう。

価値観も一種の思考的プロセスという思考のやり方と不可分で、
思考のやり方の総体であることを考えると、そう考えられる。


前やっていたところから始めるという、
継続の中で成長していくというのは、
1つの同じ物事に対してしか成り立たない。
それをちゃんと理解しなくてはならない。

そして、物事にはそれぞれ適したやり方がある。
物事に合わせてやり方を変える必要がある。


価値観と方法論、その扱い方を今まで間違っていた。
どちらも多様性を認める柔軟性を持って生きていく。